楽しむこと
「最近の高校野球は、楽しんでやろう、というのが多くなってきていますね」
大阪桐蔭対仙台育英の試合が、劇的な幕切れを迎えたあと、朝日放送の解説の方がそう言っていた。
たしかに、つまらない練習は続かない。厳しいだけの練習も続かない。
みんなで野球を楽しむという気持ちを前面に出して指導している監督がいるなら、大賛成だ。
そういうチームが増えれば、また野球が好きな人も増えて、地上波にもう少しだけ野球中継が帰ってくるかもしれない。
昔自分がハンドボール部でコーチをしていたときは、
とにかく楽しい練習メニューを考えていた。
弱小チームで、勝ちたいなら淡々と基礎練を積む必要もあると思ったが、
なんせ部員が少なかった。
つまらないから、とか、厳しいから、という理由で誰かが練習に来なくなってしまったら、
試合が成り立たない可能性すらあった。
だから、練習に来ようと、ハンドボール楽しいと思ってもらえることを一番に考えていた。
強豪チームでもないわけで、チームの目標は、必ずしも「勝つ」ことである必要はなかった。
練習したフォーメーションからの得点を絶対決めよう、とか、相手チームよりたくさん声を出そう、とか、
このチームで楽しくやろうね、とか、
そういう感じでよかった。
チームの方針がそうなら、楽しむことは、そのスポーツの普及にとってめちゃめちゃ大事だと思う。
努力すること
解説の方の言葉には続きがある。
「しかし、できないことをできるようになるまで努力すること、こういう指導をするのも大事ですね」
惜敗した大阪桐蔭の選手たちが泣き崩れる姿に
「大阪桐蔭の監督はそういう指導をしてきたんでしょうね。でなければこういう涙は出ませんね」
と解説の方は続ける。
できないことをできるようになるまで努力すること。
できるようになるまで努力すること。
おそらくここでいう「できるようになる」は、十中八九できるようになることではなくて、
百発百中できるようになることだ。
そう簡単なことではない。
練習でできて、試合でも失敗しないメンタルだって必要になる。
相当しんどい努力だ。
言ってしまえば、高校球児はまだプロでもなんでもなくて、
高校生だ。
ただの高校生に、監督がそれだけの努力を求めること、厳しい指導をすることは、異様な光景なのかもしれない。
体罰のようにルールを逸脱したものではなかったとしても、行き過ぎた指導に見えるのかもしれない。
それでも、私は、「できないことをできるようになるまで努力する」という価値観が好きだ。
他人にまでそれを強要したいとは思わないけれど、
できるようになるまでストイックに努力を続けることができる強さに憧れる。
そしてたぶん、そこまで努力できることは、結果的に楽しくなるんじゃないかと思う。
努力して楽しんで続けること
結局のところ、
楽しむ→努力する→楽しむ→努力する…
というサイクルで物事はまわっているような気がする。
まずそのこと自体を楽しむこと、
その中でできないことをできるようになるまで努力するすること、
できるようになって新しい楽しさがわかること、
そしてまたできないことをできるようになるまで努力すること…
その繰り返しだと思う。
きっとスポーツでも勉強でも仕事でもそう。
ブログもそう、かも。
めい⚾︎